2014年4月20日7時前。
スタート地点の東急リゾート前、前浜ビーチ。
微風。雲ひとつない空に、昇り始めた太陽。
暑くなりそうな予感。
泳力に合わせて、真ん中よりやや前、右側寄りに位置取る。
周りの選手の談笑とMCの声。リラックスした空気。
安倍昭恵首相夫人の号砲で一斉にスタートを切る。
身体を動かすのは嫌いではないけれど、運動が得意な方ではない。
9年前、知り合ったセミナーの講師から「ホノルルトライアスロン」の企画があり、ハワイに惹かれ応募したのがトライアスロンを始めたきっかけである。ところが、大会に向け練習を始めたところでこの大会が中止になりそうとの連絡、企画自体が頓挫となった。普通ならこれで終わり。実際、企画に参加した多くはここでやめてしまったのだが、一緒に始めたC嬢から、折角練習したので一度は参加しようとの誘いを受け、出場した。第18回伊豆大島トライアスロン大会(2006年)である。
これで思い残すことなくトライアスロンをやめ、マイペースでスイムを続けることにするつもりだった。ただ、スイミングクラブでもトライアスロンをやっている方がおり、誘われるままにたまにショートの大会に出たりしていた。
そのうちワイズのO店長が御茶ノ水店に異動となり会社と近くなったこと、皇居ランの企画が始まり参加するようになり、チームYにも正式に入ったことから、2010年のセントレア、2011年の佐渡Bとミドルの大会に出場した。チームメンバーの多くがロングの大会に出場する中、ロングにも挑戦したかったが42.195kmを走った経験がない自分にはまだ尚早と、まずフルマラソンに挑戦することにした。初マラソンは第59回勝田全国マラソン(2011年)である。
これでロングの参加資格を得たと考え、宮古島に初エントリーしたのが2011年、さらに2012年と2年連続落選。そして2013年12月24日、3回目のエントリーでようやく出場権を得たのである。
前置きが長くなった。
スタートの号砲後、周囲の選手と歩調を合わせ入水し、スイム開始。激しいバトルはないが、人が密集し手や身体が接触する状況が続く。ただこれはどんな大会でも同じ。慌てず周囲のペースに合わせる。コースのイメージはあったが、途中コースを見失い、周りの選手に付いて泳ぎ、岸に戻るコーナーではやや流され大回りとなるが、いつも通りスイムは無理せず泳ぎ切る。スイムアップ、58:05。
シャワーを浴び、ウェットを脱ぐ。T1でトランジションバッグを受け取りバイクの近くまで移動。バイクシューズを履き、ヘルメット、サングラスを着用。ところが準備したゼリー4本が入っていない!入れ忘れだ。仕方なく、そのままバイクに移動し、スタート。
東急リゾートを出て、市街地をほぼ直線に北上。弱いが追い風にも助けられ快調に飛ばす。足は極力使わないように、ケイデンス90前後を守る。市街地を抜け暫く行くと、前方に池間大橋が見えてくる。すばらしい眺望だ。橋の手前から戻ってくるバイクとすれ違う。池間島内は多少アップダウンがあったが問題なく、その後橋を戻って今度は南下。地味なコースと若干の向かい風でやや苦しいが、我慢の走り。この辺りからお尻が痛くなってくる。東平安名崎を回ったところでトイレ休憩。スッキリしたのと、数分だがバイクを降りたことでリフレッシュ、補給も摂って気持ちよく再出発。ここから来間島まではアップダウンの続く区間。登りで足を消費してしまうが、これは仕方ない。東急リゾート前に戻りちょうど100kmで2周回目に入る。1周目ほどスピードが出ず、またお尻が痛くなり、ポジションを変えながら、あと50km、あと40kmと残りを逆算しながら我慢して足を回す。2周目の池間島のアップダウンは足にこたえ、戻りの池間大橋でとうとう左の腿が攣る。騙し騙し漕いでいると、普段はなんともない左のひざに違和感がありいやな予感。何とかバイク終了(T1、T2を含み5:28:31)。ちなみに補給は、ボトルに入れたスポーツドリンクとゼリー1本、BENTO BOXに入れた固形物だけで十分だった。宮古島に着いてからの2日間、炭水化物ばかりをたらふく食べ、カーボローディングしていたのがよかったと思う。
【MY BIKE】 http://ysroad-chigasaki.com/itemblog/2014/01/2011-kalibur-ag2r-m.html
トランジションでシューズを履き替え、日焼け止めを塗り、ゼッケンをつけ、キャップをかぶってランのスタート。この時点で制限時間まで7時間以上あることがわかり、歩いても完走できると思ったら気が楽になった。
走り出しは暫く下り坂。意外に足が動き、快調に走る。時計を見るとキロ5:40ぐらい。
同じペースの横の人と会話。結構早いですね。この調子ならランも4時間切れますよ、と言われる。ちょっと待て、フルマラソンのベストが4時間9分なのに、ここで4時間切れる訳ない。ペースを落として、この人をやり過ごす。
気温が上がり暑い。2~3km毎にあるエイドで水をかぶり、コーラを飲む。2つ目のエイドを過ぎて暫くしたところでピタッと足が止まる。足が痛いわけでも呼吸が辛いわけでもないのだが走れない。時々走り、あとは歩きで、ともかく前に進むことだけを考える。途中、同じように歩いている方と会話、ちょっと走ってみませんか、と言って一緒に走る。1人では苦しいけど2人だとなぜか走れる。練習と同じだ。
12kmを過ぎ残り30km。何とか12時間は切れると計算し、目標を完走から11時間台に変更、但し大方歩き、時々走るのは同じ。下り坂はなるべく走るようにしていると、折り返し点の手前から、走るとバイクで違和感のあった左膝が痛み、また両足のふくらはぎが攣りそうになる。折り返しを過ぎても歩いていると、チームのTさんとすれ違う。ここからなら歩いても大丈夫、と声をかけてもらう。しばらくいくと、さらにチームメンバー数人とすれ違う。みんな頑張っている。元気をもらう。
30km地点を過ぎたあたりから日が傾き、日陰が出来たことと気温の低下で幾分楽になる。
市街地に帰ってくると、多くの応援者がワイドー、あと少し!と声をかけてくれるが、この時点では残念ながら走る力は残っていない。競技場に入ってからは何とか走ってゴールと思い、トラック3/4周は頑張る。ゴールイン(RUN 5:21:19)。
トータル11時間47分55秒は、目標の12時間を切り大満足である。
苦しいRUN練、早朝からのSWIM練、休日長時間を使うBIKE練など、なぜトライアスロンをやっているのか時々自問する。明確な答えはまだないが、ひとつはこの競技が人と争うものではなく、自身の目標に挑戦して、1つ1つクリアしていくものだからと思う。もちろん、練習のモチベーションは終わった後のビールであることは間違いないが…。
出場するレースはいつも全力を出し切る。だから、レース直後はもうレースは出たくない、と毎回思う。今回宮古島でも全力を出し切ったが、ゴールして直ぐに来年も宮古島に来たい、と思った。それだけ、楽しめた大会だと思う。(了)
Photo by 秦英幸
池田さん、お疲れさまでした。
ついにロング制覇しましたね。おめでとうございます。
Triathlon “ MONO ” Journalist Nobutaka Otsuka