月アカリで走るシティRUN

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本日はDayの茅ヶ崎、Nightの皇居の日でした。

昼の茅ヶ崎は曇天でしたが、皇居は晴れていて月もきれいに出ていました。定例の皇居ですが、やはり集中できることが良いことです。普段の1人の練習がどうだったのか、練習会は、「確認の場」として、絶対必要ですね。また、なるべく多くの方にご参加頂き、レベル分けができることが一番望ましいと考えています。アフターのミーティングの頃には、15名程度と少し増えて来ましたが、20名程度がベストな環境になると思います。

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チームの集合場所は「竹橋」、19:30スタート2周する。

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アフターのミーティングもセットメニュー

アイアンマン台湾、そして、宮古島の報告、次回の練習会などについて。

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次回は、5/14第2木曜日です。

ご参加お待ちしております。

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Triathlon “ MONO ” Journalist   Nobutaka Otsuka

2014 JINGLE BELL RUN

第6回のジングルベルランを開催しました。

季節がらありがちなイベントですが、起源は、ハワイで開催されていた、

「The Honolulu Advertiser 1992 JINGLE BELL RUN」です。

$30くらいだったと思いますが、参加費を支払ってTシャツと鈴をもらって、走ります。実際はご年配の人や、犬を連れた人が多く、走るより、クリスマスのイルミネーションを見ながら歩く人が多い、ハワイらしいイベントでした。そんなイベントをハワイ好きのトライアスリートたちと楽しみました。何事もまじめに取り組む人たちです。

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これ22年前の参加賞Tシャツ。

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燃える「M」系。

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トナカイたち。

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X’masプレゼント?

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カワイイ系。

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ファミリーラン。

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ハワイ系。

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すべて楽しむ人。http://geronimo.tokyo/?p=1091

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燃えてる?

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敢闘賞。

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皇居ラン2周。

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都会を走るトナカイ。

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赤い集団。

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さて、この人は誰?そう師匠サンタ!

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クリスマスメニュー。

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アフターミーティング。

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チーム・Y来年も頑張る。

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メリークリスマス!

 

良いクリスマスをお迎え下さい。

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1992 JINGLE BELL RUN FINISHER。

 

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Triathlon “ MONO ” Journalist     Nobutaka Otsuka

石田選手参戦記 ~得るものはある~

ハワイレース報告

今年のハワイのレースは例年になく厳しいコンディションという中、自分のレースが全く出来ずに11時間48分という、初アイアンマンを除いてのワースト記録でフィニッシュしました。また総合タイムがワーストであったのみならず、3種目それぞれワースト記録であり、ゴールをした瞬間は達成感よりも、何ひとつうまくレース出来なかったことへの苛立ち、悔しさ、そして苦痛から解放されることへの安堵感を同時に味わった気がします。

ハワイでのレースは今回で4回目ですが、自分としては1勝3敗の成績という認識。自分が満足のいくバイク、ランが出来たのは1回のみであり、残りの3回はいつも腹部の膨張、下痢を伴う腹痛により、途中から走れなくなり、苦痛をこらえながらゴールをしています。要は、自分の得意なランがハワイでは全く活かされずにレースを終えているという状況です。今回も腹部の不調が発生したのは10K近辺ぐらいから。ただし1か月半前の洞爺湖のレースで、足の故障を原因にランの時点で途中棄権をして完走をあきらめたのですが、その時にやはりどんなに遅くとも完走をしてフィニッシャーシャツとメダルをもらわないとレースに参加した意味がない、ということを身に染みて感じていました。よって今回は何が何でも完走をすること、そして出来る限りあきらめずに走り続けることを自分に誓いました。苦痛と戦いながら一歩一歩足を前に出すのは非常に辛いものであり、トライアスロンという競技を実施しているというよりは、言わば我慢比べのような気持ちでランを続けました。一方、その苦痛が自分にとっては耐え難いものであったために、いつも同じ苦しみを味わってレースを終えた年同様に、こんな苦しみは2度と味わいたくないというのが本音です。例年はそれでも時間が経つとともに、その痛みの記憶も薄れて、再度ハワイへの挑戦を新たに決意するのですが、今日時点ではその気にはなっていません。それよりも3度こうした結果に終わっているということは、ハワイのレースは自分には無理なのではないか、越えられない壁があるのでは、と弱気にもなってきます。今後オフシーズンに入り、自分のレースを見つめなおす中で、今後の取り組み方を考えていこうと思います。特に今シーズンは、過去2か月の間に相次ぐ故障に悩まされ、レース当日も足の違和感がいつ激痛に変わるかという不安を抱えながらのレースでしたので(結果、腹痛には悩まされたものの足の痛みは気にならず)、じっくりと体を回復させることが重要であると思っています。

湿っぽいレース報告にはなっていますが、無論今回のレースから得られているものもあります。それは、日常生活では普段経験しないほどの、様々な感情を味わい、経験出来ているということ。残念ながら、それらは今回に限っては苛立ち、悔しさ、絶望感といったネガティブな感情が支配的で、安堵感、達成感、充実感、といったポジティブな感情が少なかったわけですが、結果ネガティブであってもそれらを感じたこと自体は自分の成長につながるものであり、収穫かと思います。そして、記録は全く不満足なものであったものの、最後まで諦めずに自分を叱咤激励しながらも、痛みにこらえながら走り続けフィニッシュした自分はほめてあげてもいいのかな、と書きながら今思えてきました。

石田力

 

石田さん、お疲れさまでした。まずは、休んで。また考えて、そして、走る。

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Triathlon “ MONO ” Journalist     Nobutaka Otsuka

アイアンマン世界選手権まであと2週間 ~チーム・Y壮行会~

本日はチーム・Yのアイアンマン世界選手権壮行会を開催しました。

また、同時に佐渡国際トライアスロンにおいて最高年齢で完走、エイジ優勝の祝勝会も開催しました。

2014年も大活躍だった。

 

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【チーム・Y 人見選手】

2014佐渡国際トライアスロンAタイプエイジ優勝 & 最高齢完走賞

満70歳にして、難関佐渡Aタイプを完走し、記録はエイジ優勝を果たした。完走率81%という厳しいレースは、若い選手でも簡単なことではない。そのレースにおいて、素晴らしい結果を出した人見選手。70歳という年齢は想像つかないが、勢いだけでできる年齢でない。常に身体と相談しながら、コンディショニングが重要となるのだろう。そして、家族の理解と応援があってこその「挑戦」なのだ。

常にタイムを意識し、走る姿は、「職人」。こだわりがついにカタチになった。

これからも楽しんで行きたいとのこと。

完走の秘訣は、「無理しないこと」と語ってくれた。

チームを支える大先輩に感謝したい。

レポート: http://geronimo.tokyo/?p=836

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優勝の盾を披露。

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いつも優しい笑顔の人見選手。

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続いて「Road to Kona」 スペシャルムービー。

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作った人。

ここにも「熱い」男がいた。

お世話になった先輩の「無事な走り」を祈念して、想いを込めて作った。

自身も2015年の出場権を獲っている。

【チーム・Y 若山選手】  http://geronimo.tokyo/?p=840

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感動を。。。。。

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ありがとう!

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【チーム・Y 金山選手】

4度目のハワイ出場となる。

これまで飛ばしに、飛ばして来た。ハワイを獲るためにやれることやって来た。

そんな「元気印」が、体調不良に見舞われていた。

今までで一番苦しいレースになるかもしれない。

でも後には引けない。

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わいわい応援団。

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【チーム・Y 石田選手】

同じく4度目のハワイとなる。

冷静沈着に己を分析する「ターミネーター」は、8月に突然の故障。

それでも、ベストな選択ができれば、勝機はある。

最後まで諦めない。

諦めるわけにはいかない。

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トライアスロンの聖地であり、チーム・Yの本拠地、「茅ヶ崎」。

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チーム・Y、世界へ。

 

“ AGE & SPEED ”  それぞれに極めるカタチがあるのだ。

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Triathlon “ MONO ” Journalist     Nobutaka Otsuka

【メンバーRerort】 2014ツールド東北気仙沼フォンド by河上選手 ~私のできること~

「2014ツール・ド・東北 気仙沼フォンド220キロ完走記」

9月14日、東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県の沿岸部で行われた「ツール・ド・東北」に参加してきました。順位やタイムを競わないファンライドだけど、自分の心の中に留めておくのにはもったいないすばらしいイベントだったので、完走記を書いてみました。

6月に早々と自分の今年のトライアスロンシーズンが終了し、ぼーっと過ごしていたところ、震災で大きな被害を受けた宮城県沿岸部を自転車で走る「ツール・ド・東北」なるサイクルイベントを知る。今年で2回目とのこと。まさか当たるとは思わなかったけど、当選。で、次に宿探し。スタートとゴール地点にあたる石巻周辺のホテルはすでにどこも一杯。民泊(一般の家庭に泊めてもらう)に応募したところ、これまた当選。民泊先Tさん家のご夫妻は、とてもすてきな方々で、去年も選手達に快く宿を提供したそうである。「なんで宿泊を提供するような大変なことをするんですか?」と尋ねたところ「私達は高台の家で津波の被害に遭わなかったけど、石巻は今までたくさんのボランティアの方に助けられた。その恩返しです。」とのこと。大会が続く限り毎年続けるそうである。頭が下がる。

レース前日。三連休初日なので下りの道路は大渋滞。石巻到着が2時間半も遅れた。エントリー受付時間はとっくに過ぎている。でも、大会主催者の配慮と駅まで車で迎えに来てくれたTさん家の奥さんのご協力のおかげで無事エントリー終了。奥さんからは「エントリーぐらいで諦めないでくださいね」と。応援しに来たつもりなのに逆に応援されてどうするんだという感じ。

エントリー終了後、奥さんに石巻の津波被害の傷跡を案内してもらい、Tさん家へ。本当に津波で多くの家が根こそぎ流されたんだ…

夜、ご主人にお酒を振舞われ、Tさん家に泊まる他の2名の選手と東北のことやらイベントのことやらを語り合う。レース前は、願掛けで飲まないのだけれど、今回は「レースじゃないから」という正当(!?)な理由で、すっかりごちそうになる。終始リラックスでき、いつもは緊張で眠れないのだがしっかり睡眠もとれて大会に臨めた。ん、こっちの方が良い!?

 コースは220キロ、170キロ、100キロ、60キロの4部門。トライアスリートは黙って220キロの気仙沼フォンド。気仙沼フォンドは石巻専修大を出発して女川、雄勝、北上、南三陸の沿岸を通り気仙沼で引き返すロングライド。石巻と気仙沼の周辺以外、アップダウンの連続するコースで獲得標高は2576m。かなりタフなコースだ。

今回はFocus Izalcoで参加。大会でロードバイクを使うのは初めてとなる。大会の参加可能車両は、前後にブレーキを備えた一人乗り用自転車。ロードバイク、MTB、ミニベロ、ママチャリや電動自転車(!?)でも参加できる。ただ、DHバーは使用禁止なので、それを外さないとTTバイクの使用は不可。リカベント、ブレーキのないピスト、タンデム自転車も不可。また長いトンネルをくぐるので、前後ライトの装備義務あり。ベルも必要。バイクチェックはなかった。

エイドステーションは本当に充実している。だいたい20キロ毎に設置されていて、気仙沼フォンドでは全行程で9つもある。そのすべてでその地域自慢のご当地フードが振る舞われる。その他にバナナ、エナジーバー、ドリンク(トライアスリートの心の友達、コーラはないけれど)も提供される。メンテナンスも常駐。フロントギアに終始悩まされた自分も何度か助けられた。折り返し地点付近のエイドでは昼食まで用意されている。ハンガーノックなどまったくの無縁である。そして、エイドやコース上には、多くのボランティアの方が配置され、我々の走りを支えてくれる。選手約3000名より遙かに多いと思われる。サポートライダーや救護ライダーも数多く参加していてし、トラブルや体調不良で道端に立ち止まっていると、すぐに駆けつけてくれる。イベントに関わる人すべてが、僕らの完走を後押ししてくれる。

レース当日。早朝4時前に起床。朝早いのでこっそり出かけるつもりが、奥さんが起きてくれた。朝食をいただき、見送りを受ける。ありがたい。がんばってきます。

天候は晴れ。気温はちょっと寒いくらいで、ちょうど良い。早朝だからちょっと靄が発生しているけど、最高のコンディション。朝の5時半、気仙沼フォンド、スタート。初の200キロ越え、さて、どうなることやら。選手はみんな、思い思いのペースで完走を目指してスタートしていく。トライアスロンのレースしか知らない自分にとって、ドラフティング=反則という、刷り込みがあるせいか、思わず前と7mほど の距離をとってしまう。自分の性が悲しい。

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18キロ過ぎで第1エイド女川、さんまのつみれ汁。その暖かさにほっとさせられる。第2エイド雄勝、ホタテ焼き。おいしゅうございました。第3エイド神割崎、銀鮭の唐揚げ。おかわりしたかったのだけど、胃腸をいたわり自重。第4エイド伊里前福幸商店街、がんづき(東北地方のおやつ)。あまりのおいしさに思わず3本食べてしまった。第5エイドは階上小学校、小学生の応援メッセージが入ったササニシキのおにぎり小弁当。第6エイド大谷海岸、昼食のサンマかば焼き弁当。第7エイド蔵前漁港、わかめまんじゅう&黄金まんじゅう。第8エイドホテル観洋、ふかひれスープ。と、これでもかと地元ボランティアの手作りご当地フードが振る舞われる。どれも美味しく、また各エイドでは、暖かく我々を迎えいれてくれる。

沿道には付近のおじいちゃんやおばあちゃん、大人から子供、赤ちゃんまで一家総出で応援してくれる。旗を振りときに大声で。それに応え、こちらも思わずがんばってしまう。絶対完走しよう。

コースにあたる国道45号線周辺には未だに震災の爪痕が深く残っている。特に海に近い平地の部分。津波によって、鉄骨部分だけが残った建物、上に家がなく土台だけが残っているところ、人が住んでいた痕跡すら残っていないところもある。坂の途中には「過去の津波浸水区域」の道路標識。こんなところまで津波が来たんだと驚かされてしまう。そして、仮設住宅も数多く建っていて、多くの方がまだそこに住んでいる。

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肝心の走りの方であるが、エイドでしっかり休めるせいか長さをあまり感じない。なぜか単独走行が多いが、そのおかげで沿道の応援を一身に受けるのでヒーローになった気分だ。本当にうれしい。やはりアップダウンは激しく辛い。いつもなら苦しいときに頭の中に楽しい音楽を流して乗り切るのだか、今回はその爪痕を見てしまったせいか、流れるのはStingの「Fragile」。我々はなんて、儚く壊れやすい存在なんだろう…

練習は積めていたおかげか完走はできそうである。やはり、走った距離は裏切らない。

津波で深刻な被害にあったであろう低地の部分に、新しい家や倉庫などが再建されているところがいくつもあった。すごい立派な家もあった。「あの方々はもう津波は怖くないのですか?」と、ライド後、Tさん家でその疑問を呈すると、「地元の名士は地元のために率先してその地に残り、逃げ出す訳にはいかない」とのこと。その前向きな姿勢に深い感銘を受ける。

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最後の第9エイド、にっこりさんパークで十三浜茶碗蒸しをいただく。とても甘くて美味しかった。エイドを出発し、新北上大橋を渡る。橋を渡ったところに津波の被害に襲われたあの「大川小学校」があった。震災以前は、このあたりは街を形成していたとのことだが、今はまったくの更地。残ったのは廃墟となった校舎のみ。津波の被害の記憶を残す意味で、こういう建物を保存する動きもあるとのことだが、一刻も早く取り壊してその記憶を忘れ去りたい方もいるとのこと。難しい問題だ。

その後、新北上川沿いを登って行く。川から吹き下ろしてくる向かい風のうえ最後の20キロからは雨が降り出した。自然と集団ができる。牽いたり、牽かれたりしながら協力してゴールの石巻専修大を目指す。最後に残った4人で、並んでゴール。お互い健闘をたたえ合う。完走証をもらい、雨が止むのを待って、Tさん家に戻る。ご夫妻は所用により不在。でもベッドの上には「完走おめでとうございます」のメッセージが置いてあった。涙が出る。無事完走でき、期待に応えられて本当に良かった。そして、イベントを通して東北の人たちと心を一つにすることができたかな。民泊先の2選手も無事完走。おめでとうございます。そのまま帰宅の途についた。お気をつけて。僕はもう一泊させてもらい、夜にまた料理やらお酒を振る舞われ、翌日も朝食をしっかりご馳走になる。お土産までいただいてしまった。お世話になりっ放しである。そして、石巻の街の風景を目に焼き付けつつ帰宅の途についた。

震災の地で私ができることなんて微々たるものだ。でも、こういったイベントを通して、東北の現状を知ったり、地元の方々と一緒になって何かを成し遂げたりすることはできる。またこういうレポートを読んでもらうことによって、周囲の人に少しでも「東北の今」を知ってもらえたらなと思う。

快く家を提供してくださったTさん夫妻をはじめ、主催者や多くのボランティアのみなさん、サポートライダーに救護ライダー、沿道で応援して下さった東北のみなさん、本当にありがとうございました。そして一緒に走ったライダーのみなさん、お疲れ様でした。来年も東北の地で、お会いしましょう。

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河上選手、お疲れさまでした。

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Triathlon “ MONO ” Journalist     Nobutaka Otsuka

70歳の挑戦

先日、レポートでご紹介させて頂きました、佐渡で70歳エイジ優勝の人見選手ご来店頂きました。

完走するだけでも大変な佐渡Aタイプ(ロング)ですが、常にタイムの目標も設定し、厳しく臨む姿は、優しい笑顔からは、想像がつきません。

50代半ばからトライアスロンを始め、ここまで来て大変だったことは、もちろんいろいろおありだと思いますが、「家族の理解」があってこその結果だと、お話されていました。

ご本人のレポートは右記をご覧下さい。http://geronimo.tokyo/?p=836

いろいろなことをこなし、いろいろなものを抱え、走り続けているのですね。

 

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Triathlon “ MONO ” Journalist     Nobutaka Otsuka

【メンバーReport】 佐渡国際トライアスロン by 人見選手 ~いつのまにか~

佐渡Aタイプ参加してきました。

”いつの間にか最高齢”

レース当日は4時前に朝食をとりトラバックを持ち出発、ところが前輪パンクでした。自分で交換する時間もなく焦りました、取りあえずそのまま宿を出て、トランジッションの準備不十分でしたが、メカニックにチューブ交換して頂き、スイムチェツク・スタートに間に合いました。

 

スイム

準備中に諸々有りましたが、中ほどでチームメンバーと話しているうちに落ち着き、海も穏やかで無事スタート出来ました.いつもは最後尾からスタートですが、今回は中盤からのためか、バトルに巻き込まれて、いつもより激しくもまれ、ゴーグル外れました。しばらくして1km付近で呼吸は安定し以後順調に泳げました。

(1:34)

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バイク
いつもトランジットは約10分、今回は段取りが出来てなくロス多かった。快晴で高温になりましたが体調は良く中盤までは順調に走れる。80~130kmまでは若者に負けじと競走しました。その後南側海岸線では頑張り過ぎからか、一人旅からか、はたまたフォームからなのか、首が痛くなりサイクルコンピューターを見ると平坦なのに25km/h以下になる。再び150km地点(赤泊)より気合いを入れ、小木坂後は状態が良くなりバイクゴール。

(8:05)
ラン

胃腸薬を探したが見つからず、飲めなかった。快晴で日照り強く高温になったので、日焼け止めを塗り帽子持ってのスタート。相変わらずの遅いトランジッションでした。(対策練習せねば)最初から脚が重く思うような走りが出来きませんでしたが、残り5時間50分あるので歩かなければ完走できると思いつつ・・・
全エイドでドリンク、一か所おきに持参の補給食を摂りました。、20km付近で指にまめができたので靴ひもを調整しながら走ったり、トイレも数回。チーム女子に抜かれ付いて行けず。(第一目標、完走・第二、今回参加紅一点に勝つこと、であったが結果10分も差が付き負けでした)。26kmより気分が変でコーラを飲んだら(その後飲み続ける)良くなり、足のまめの気にならなくなり7km/hで走れるようになる、残り10kmより若者(1分遅くゴール後挨拶に来健闘を讃えあう、37才とのこと有難う)と一緒に声を掛けながら、2人で残り1kmまで走り、めでたく制限時間17分前ゴール、目標の完走が出来ました。ランはチーム皇居ランに参加し個人でも走っているのに遅かったのが残念!

やっぱり高齢ですから~。

(5:33)

総合(タイム)15:13:20  順位:703/959  年齢別70~74歳:1位

特別賞: 最高齢完走賞(70歳以上完走者1名)
チーム参加は少人数でしたがレースは苦しみつつ、浦島の美味しい食事もあり楽しんで参りました。

参加の選手・チームの方々お世話に成りました。有難うございました。まだ続けたく皆さん宜しくお願いします。

以上

チーム・Y 人見光義

 

 

進化し続ける人見選手は、チーム・Yの誇りです。

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Triathlon “ MONO ” Journalist     Nobutaka Otsuka

【メンバーReport】 佐渡国際トライアスロン by 鈴木選手 ~できるかもしれない~

2014年9月7日6:00佐渡ロングがスタートした。

チーム・Yのメンバー6名が参戦している。残る自分は、ミドルタイプ。ロングに続き1時間30分後の7:30スタート。天候も晴れて海も穏やかな状態。いよいよスタートだ。

トライアスロンに挑戦したいという思いは、以前からあった。しかし、泳げないためトライアスロンを避けていたような気がする。昨年、ひょんなことからプールに行くことになり、何十年振りかで泳いでみた。やはり、思ったとおり息継ぎも出来ず25mすら泳げなかった。大抵ここで止めてしまうが、何故か翌週もプールに行ってみた。息継ぎの際に水を飲みながら何とか25m泳げた。「あれ、先週よりも泳げるようになってる。」うれしくて、一生懸命泳いでみると、プールの水でお腹がいっぱいになった。だが、その時、ふと思ってしまった。泳げるようになれば、トライアスロンに挑戦できるかもしれない。まあ、こんな程度で気持ちが固まり、昨年9月、Y茅ヶ崎店にお世話になることになった。昨年11月にバイクも購入したが、当然スイム中心となる。スイムは、某トライアスロンスクールに体験で入ったが、レベルが高すぎてついて行けず、基礎から学ぼうと決心。近所のスイミングスクールに通うこととなり、お陰様で多少、泳げるようになった。

今年5月横浜、6月館山、そして佐渡ミドル。決心をしてからちょうど1年になる。わからないことだらけで、手探りな状態は今でも続くが、この度、同部屋となった池上選手から多くのことを教わり、落ち着いてスタートラインに立てた。横浜、館山は一人で挑戦した。

今回は、仲間がいる。心強い。

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また、職場の同僚の女性も応援に来てくれている。と言うのも、彼女は佐渡の佐和田出身者で幼いころからトライアスロンのボランティアをしてくれていたそうだ。聞けばお父さんも毎年ボランティアをしているそうで、当日は、二人ともボディーマーキング会場でお手伝いをしていた。朝3時過ぎからの準備だそうで、ボランティアさん方のお力添えがあって大会が運営されていることを痛感し、感謝の気持ちでいっぱいになった。本当にありがとうございました。

スイム

何故かこんな時になって眠くなってきてしまった。あくびが止まらない。そろそろかなと思った瞬間、スタート。リラックスを通り過ぎて眠くなるのかと思いながら泳ぎ始めた。泳ぎ始めて間もなく、バトルの洗礼を受ける。眠くなっている場合じゃない。見事に揉みくちゃにされ、沈められ若干パニック状態に陥った。実は、横浜でも腕を回し過ぎて心拍があがり、パニック状態になった。今回はそれとは違うパニック状態になりかけたが、冷静を取戻し、その後はスムーズに泳ぐことが出来た。25m泳げなかった頃から比べれば、多少海水は飲むものの進歩したと思う。(41分)

バイク

3種目の中で、全くと言う程、練習出来ていないのがバイク。本番前2度程90kmを走った程度。バイクに占める割合は大きいのに、なかなか練習できずにいた。案の定、漕げない。抜かされる、追い越せないの連続。唯一、ランに影響しないように、エネルギー補給と水分補給は出来たと思う。アップダウンが続き、しかもロングはこの倍と思うと気が遠くなる。やはり、完走者は鉄人だ。無事にバイクを終了するも、トラディションエリアには、かなりのバイクが既に帰ってきていた。急ぎたかったが、トイレに寄ってからと思い、用足しをする際、大事なところが痛かった。しかも、なかなか出ない。出たら止まらない。正直、ロング対策が必要だと感じた。(3時間50分)

ラン

フルマラソンは何度か走っているが、バイクを漕いだ後、足裏の感覚が戻らない。疲労していて足が出ないのではなく、メンタルでスピードが上がらないのか。折り返したらペースを上げようと思っても、足が出ない。途中、ロングトップの西村洋行選手とすれ違った。恐ろしいスピードで走っていた。格好いい。残り5kmになったらと思っても、スピードを出さない自分がいる。やはり、怖いのか。3種目の最後の最後にミスをしないため、全て大事に進め過ぎた感もある。自然と、ゴールするための体のセーフティーが掛っていたのか、これもマラソンの経験からくるものなのかわからないが、終始一定なペースを保ち無事にゴールすることができた。ゴールには、職場の同僚とそのお母さんが待っていてくれて花束とお酒「金鶴」をいただいた。ありがとうございました。(1時間47分)

結果、トータル6:19でのフィニシュとなった。

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日も暮れ、チーム・Yのロングのみなさんも一人ひとりと帰って来た。結果、ロングでは4名が完走している。ロングの完走の難しさも改めて知った。そんな中で、人見選手はエイジ1位となった。格好良すぎる。紅一点、横山さんもゴール前で猛ダッシュ。どこにそんな力が残っているのか。凄過ぎます。そうこうしている内に、カウントダウンが始まり、各々の長い1日が終わろうとしている。佐渡の夜空に花火が上がった。選手の皆様、お疲れ様でした。

大会運営の皆様、ボランティアの方々、地元での応援、チーム・Yの方々、家族、みなさんに感謝します。お世話になりました。本当にありがとうございました。

トライアスロンは、まだまだわからないことだらけだが、いつも新鮮でいられる。今はそれが楽しい。この気持ちを忘れたくない。

2014アストロマンのIDバンドが右手に残っている。最後の最後まで外したくない。IDバンドを外すその時から、自分の2015がスタートする。ロングへの挑戦が始まる。

 

 

鈴木さん、10/1からトライアスロン新年度が始まります。

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Triathlon “ MONO ” Journalist     Nobutaka Otsuka

【メンバーReport】 白山ジオトレイル by 井上選手 ~決してあきらめないこと~

今まで戴いたなかで最長のお休みを使い、白山ジオトレイルという大会に行ってきました。14キロの荷物を担ぎ、テントに泊まりながら一週間、山を250キロ走るサバイバルレースです。過酷な道が続き、あまりの坂と荷物の重さに、幾度も後に転落しそうになりました。アブ、まむし、熊にも遭遇。選手は全員熊撃退スプレーを持ち、熊多発で通行禁止の林道を一人で走りました。

《白山ジオトレイル》 http://www.hakusangeotrail.com/
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最高峰白山に登頂するステージでは、大雨警報が出る荒天。雷、強風の中、雨により道が、川になった登山道(写真)をひたすら登り、低体温低酸素で死ぬかと思いました。選手同士が助け合い、なんとか生還した姿に、主催者やスタッフが涙。第一回大会、「挑戦することで日本を元気にしたい」という主催者赤坂さんの挑戦は、過酷なレースを選手を信じて続行することだったそうです。
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普通なら完全に中止なところでしたが、なんとか無事に全員登頂。
山小屋に入ったら突然晴れ上がり、今月まだ数回目の美しい夕陽、ご来光を拝みました。最終日まで毎日毎日山を走り、雨の多い天気ゆえ服が乾かず、カビ臭い服を着て暮らした一週間。乾いた服のありがたみを噛み締める日々でした。足まめ、爪剥がれなんて当たり前の世界。足の全面すべてが剥がれ、小指のさき一センチが白蝋化してもげた男性もいました。この方はあくまでも前進し、最後のゴールを制限時間を六時間越えてくぐりました。その彼をスタッフ皆が支え、一緒に歩き、途中からは選手も合流し、全員でゴール。感動でした。
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決してあきらめないこと。
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仕事にプライベートに体験を還元していきたいと思います。あ、女子優勝しました。高坂は総合二位!見直しちゃうほどいい走りをしてくれました。いつかトライアスロンでも花開きたいところ。
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以上。
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チーム・Y 井上
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無事生還でなにより。

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Triathlon “ MONO ” Journalist     Nobutaka Otsuka

峰岸選手凱旋帰郷

峰岸選手が帰って来ました。

昨日もアイアンマン世界選手権出場権獲得の祝勝会で報告はして頂いていますが、茅ヶ崎をベースとする峰岸選手の「凱旋帰郷」と行ったところでしょうか。

相変わらずの「元気」で姿を見せてくれた峰岸選手は、サザンビーチトライアスロンなどもレギュラー参加、ここ茅ヶ崎からKONAへの道がつながったのです。

以下、峰岸選手のハワイ獲得の相棒をご紹介します。

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キャノンデールらしいトライアスロンバイクと言える。

トライアスロンの老舗ブランド、キャノンデール。アイアンマンのオフィシャルバイクも経験している、アメリカの代表格。このスライスは2008年デビューで今年で7年目のロングセラーの人気バイクだ。パーツアッセンブルのコントロールによりリーズナブルな価格設定、幅広く乗り易い、ロングディスタンス向けとなっている。ただ、アメリカン特有のジオメトリーにより、手脚の長さなどによりポジション出しがシビアなバイクでもあるので、バイオレーサー5000でのチェックが重要。

このモデルは、2010年、2013年ハワイアイアンマン優勝のミリンダ・カーフレーが2010年にウィナーズバイクとなったものだ。そして「茅ヶ崎だけの限定品」として、当初国内展開のなかったカタログ外の国内未入荷品を茅ヶ崎店のリクエストにより国内緊急入荷とった。650cホイールの最小サイズ。160cm前後の女性トライアスリートにオススメの逸品。トライアスロンルミナ「トリガー」にも掲載された商品。

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2011   Cannondale  SLICE women +   ZIPP404 FireCrest

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峰岸さん、あらためておめでとうございます。

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Triathlon “ MONO ” Journalist     Nobutaka Otsuka