【メンバーRerort】 2014ツールド東北気仙沼フォンド by河上選手 ~私のできること~

「2014ツール・ド・東北 気仙沼フォンド220キロ完走記」

9月14日、東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県の沿岸部で行われた「ツール・ド・東北」に参加してきました。順位やタイムを競わないファンライドだけど、自分の心の中に留めておくのにはもったいないすばらしいイベントだったので、完走記を書いてみました。

6月に早々と自分の今年のトライアスロンシーズンが終了し、ぼーっと過ごしていたところ、震災で大きな被害を受けた宮城県沿岸部を自転車で走る「ツール・ド・東北」なるサイクルイベントを知る。今年で2回目とのこと。まさか当たるとは思わなかったけど、当選。で、次に宿探し。スタートとゴール地点にあたる石巻周辺のホテルはすでにどこも一杯。民泊(一般の家庭に泊めてもらう)に応募したところ、これまた当選。民泊先Tさん家のご夫妻は、とてもすてきな方々で、去年も選手達に快く宿を提供したそうである。「なんで宿泊を提供するような大変なことをするんですか?」と尋ねたところ「私達は高台の家で津波の被害に遭わなかったけど、石巻は今までたくさんのボランティアの方に助けられた。その恩返しです。」とのこと。大会が続く限り毎年続けるそうである。頭が下がる。

レース前日。三連休初日なので下りの道路は大渋滞。石巻到着が2時間半も遅れた。エントリー受付時間はとっくに過ぎている。でも、大会主催者の配慮と駅まで車で迎えに来てくれたTさん家の奥さんのご協力のおかげで無事エントリー終了。奥さんからは「エントリーぐらいで諦めないでくださいね」と。応援しに来たつもりなのに逆に応援されてどうするんだという感じ。

エントリー終了後、奥さんに石巻の津波被害の傷跡を案内してもらい、Tさん家へ。本当に津波で多くの家が根こそぎ流されたんだ…

夜、ご主人にお酒を振舞われ、Tさん家に泊まる他の2名の選手と東北のことやらイベントのことやらを語り合う。レース前は、願掛けで飲まないのだけれど、今回は「レースじゃないから」という正当(!?)な理由で、すっかりごちそうになる。終始リラックスでき、いつもは緊張で眠れないのだがしっかり睡眠もとれて大会に臨めた。ん、こっちの方が良い!?

 コースは220キロ、170キロ、100キロ、60キロの4部門。トライアスリートは黙って220キロの気仙沼フォンド。気仙沼フォンドは石巻専修大を出発して女川、雄勝、北上、南三陸の沿岸を通り気仙沼で引き返すロングライド。石巻と気仙沼の周辺以外、アップダウンの連続するコースで獲得標高は2576m。かなりタフなコースだ。

今回はFocus Izalcoで参加。大会でロードバイクを使うのは初めてとなる。大会の参加可能車両は、前後にブレーキを備えた一人乗り用自転車。ロードバイク、MTB、ミニベロ、ママチャリや電動自転車(!?)でも参加できる。ただ、DHバーは使用禁止なので、それを外さないとTTバイクの使用は不可。リカベント、ブレーキのないピスト、タンデム自転車も不可。また長いトンネルをくぐるので、前後ライトの装備義務あり。ベルも必要。バイクチェックはなかった。

エイドステーションは本当に充実している。だいたい20キロ毎に設置されていて、気仙沼フォンドでは全行程で9つもある。そのすべてでその地域自慢のご当地フードが振る舞われる。その他にバナナ、エナジーバー、ドリンク(トライアスリートの心の友達、コーラはないけれど)も提供される。メンテナンスも常駐。フロントギアに終始悩まされた自分も何度か助けられた。折り返し地点付近のエイドでは昼食まで用意されている。ハンガーノックなどまったくの無縁である。そして、エイドやコース上には、多くのボランティアの方が配置され、我々の走りを支えてくれる。選手約3000名より遙かに多いと思われる。サポートライダーや救護ライダーも数多く参加していてし、トラブルや体調不良で道端に立ち止まっていると、すぐに駆けつけてくれる。イベントに関わる人すべてが、僕らの完走を後押ししてくれる。

レース当日。早朝4時前に起床。朝早いのでこっそり出かけるつもりが、奥さんが起きてくれた。朝食をいただき、見送りを受ける。ありがたい。がんばってきます。

天候は晴れ。気温はちょっと寒いくらいで、ちょうど良い。早朝だからちょっと靄が発生しているけど、最高のコンディション。朝の5時半、気仙沼フォンド、スタート。初の200キロ越え、さて、どうなることやら。選手はみんな、思い思いのペースで完走を目指してスタートしていく。トライアスロンのレースしか知らない自分にとって、ドラフティング=反則という、刷り込みがあるせいか、思わず前と7mほど の距離をとってしまう。自分の性が悲しい。

がんづきをほうばる.jpgメッセージ入り小弁当.jpg

18キロ過ぎで第1エイド女川、さんまのつみれ汁。その暖かさにほっとさせられる。第2エイド雄勝、ホタテ焼き。おいしゅうございました。第3エイド神割崎、銀鮭の唐揚げ。おかわりしたかったのだけど、胃腸をいたわり自重。第4エイド伊里前福幸商店街、がんづき(東北地方のおやつ)。あまりのおいしさに思わず3本食べてしまった。第5エイドは階上小学校、小学生の応援メッセージが入ったササニシキのおにぎり小弁当。第6エイド大谷海岸、昼食のサンマかば焼き弁当。第7エイド蔵前漁港、わかめまんじゅう&黄金まんじゅう。第8エイドホテル観洋、ふかひれスープ。と、これでもかと地元ボランティアの手作りご当地フードが振る舞われる。どれも美味しく、また各エイドでは、暖かく我々を迎えいれてくれる。

沿道には付近のおじいちゃんやおばあちゃん、大人から子供、赤ちゃんまで一家総出で応援してくれる。旗を振りときに大声で。それに応え、こちらも思わずがんばってしまう。絶対完走しよう。

コースにあたる国道45号線周辺には未だに震災の爪痕が深く残っている。特に海に近い平地の部分。津波によって、鉄骨部分だけが残った建物、上に家がなく土台だけが残っているところ、人が住んでいた痕跡すら残っていないところもある。坂の途中には「過去の津波浸水区域」の道路標識。こんなところまで津波が来たんだと驚かされてしまう。そして、仮設住宅も数多く建っていて、多くの方がまだそこに住んでいる。

走行中(ピンぼけ).jpg

肝心の走りの方であるが、エイドでしっかり休めるせいか長さをあまり感じない。なぜか単独走行が多いが、そのおかげで沿道の応援を一身に受けるのでヒーローになった気分だ。本当にうれしい。やはりアップダウンは激しく辛い。いつもなら苦しいときに頭の中に楽しい音楽を流して乗り切るのだか、今回はその爪痕を見てしまったせいか、流れるのはStingの「Fragile」。我々はなんて、儚く壊れやすい存在なんだろう…

練習は積めていたおかげか完走はできそうである。やはり、走った距離は裏切らない。

津波で深刻な被害にあったであろう低地の部分に、新しい家や倉庫などが再建されているところがいくつもあった。すごい立派な家もあった。「あの方々はもう津波は怖くないのですか?」と、ライド後、Tさん家でその疑問を呈すると、「地元の名士は地元のために率先してその地に残り、逃げ出す訳にはいかない」とのこと。その前向きな姿勢に深い感銘を受ける。

大川小学校.jpg

最後の第9エイド、にっこりさんパークで十三浜茶碗蒸しをいただく。とても甘くて美味しかった。エイドを出発し、新北上大橋を渡る。橋を渡ったところに津波の被害に襲われたあの「大川小学校」があった。震災以前は、このあたりは街を形成していたとのことだが、今はまったくの更地。残ったのは廃墟となった校舎のみ。津波の被害の記憶を残す意味で、こういう建物を保存する動きもあるとのことだが、一刻も早く取り壊してその記憶を忘れ去りたい方もいるとのこと。難しい問題だ。

その後、新北上川沿いを登って行く。川から吹き下ろしてくる向かい風のうえ最後の20キロからは雨が降り出した。自然と集団ができる。牽いたり、牽かれたりしながら協力してゴールの石巻専修大を目指す。最後に残った4人で、並んでゴール。お互い健闘をたたえ合う。完走証をもらい、雨が止むのを待って、Tさん家に戻る。ご夫妻は所用により不在。でもベッドの上には「完走おめでとうございます」のメッセージが置いてあった。涙が出る。無事完走でき、期待に応えられて本当に良かった。そして、イベントを通して東北の人たちと心を一つにすることができたかな。民泊先の2選手も無事完走。おめでとうございます。そのまま帰宅の途についた。お気をつけて。僕はもう一泊させてもらい、夜にまた料理やらお酒を振る舞われ、翌日も朝食をしっかりご馳走になる。お土産までいただいてしまった。お世話になりっ放しである。そして、石巻の街の風景を目に焼き付けつつ帰宅の途についた。

震災の地で私ができることなんて微々たるものだ。でも、こういったイベントを通して、東北の現状を知ったり、地元の方々と一緒になって何かを成し遂げたりすることはできる。またこういうレポートを読んでもらうことによって、周囲の人に少しでも「東北の今」を知ってもらえたらなと思う。

快く家を提供してくださったTさん夫妻をはじめ、主催者や多くのボランティアのみなさん、サポートライダーに救護ライダー、沿道で応援して下さった東北のみなさん、本当にありがとうございました。そして一緒に走ったライダーのみなさん、お疲れ様でした。来年も東北の地で、お会いしましょう。

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河上選手、お疲れさまでした。

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Triathlon “ MONO ” Journalist     Nobutaka Otsuka