【メンバーReport】 ITUロングディスタンス世界選手権

昨年参加した五島バラモンキングで、ITUロング世界選手権への出場資格をゲット。

6/1(土)に、フランス・ベルフォールで開催された大会に参加してきました。
以下、そのレポートです。ちょっと言い訳じみてますが、ご勘弁を。
今年のヨーロッパは、フランスを含め異常気象で寒い日が続いているらしい。
その影響で、スイム会場のMalsaucy湖の水温は14~15℃。
レース前々日の競技説明会で、スイムの中止、RUN-BIKE-RUNのデュアスロンへの変更が発表された。
SWIM 4km, BIKE 120km, RUN 30㎞の予定が、1stRUN 9.5km, BIKE 87km, 2ndRUN 20㎞に、各々の距離も短縮された。
スイム苦手の自分には、ラッキーだと思われた。
実際、スイム練習不足の帳尻合わせのため、出発3日前に参加した烏帽子岩遠泳3.8kmでも、脚攣って一人だけ途中リタイア。
しかも、出発時にも痛みが残って、何とも不安だらけの最悪の結果に。
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1雨のバイクチェックイン.jpg
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前日、バイク預託時は雨だったが、幸いレース当日は雨はあがっていた。
しかし、気温はかなり低く、通常は国名と氏名がプリントされたレーススーツの他は、着用が許可されないが、今回は下に長袖などの着用や、アウターの着用も許可された。
自分は、トライスーツの下にFinetrackのアンダーと長袖Tシャツを着こみ、アームウォーマーはトランジットで付けるのに手間どりそうだったので、手首まで下げた状態に。
脚は膝下までのレッグウォーマーを付けた状態で、露出部分にはウォームアップクリームをたっぷり擦り込んでスタンバイ。
エリートは、ゼッケン順にひとりひとりコールされ、大喝采を浴びる。日本からは、男子は益田選手、河原選手、高濱選手が、女子は田中選手が参戦。
各国エイジ選手達も、スタートゲート地点でエイジグループ毎にスタートを待ちながら、自国のエリート選手のスタートに大声援を送った。
エリートに続き、男子エイジの高齢グループから順番に2分間隔でカテゴリー毎にラン スタートして行く。すぐに自分たちのスタート時間に。
デュアスロンは、数年前のカーフマン以来久しぶりだ。その後のバイクでヒルクライムが控えているので、脚が攣らないことを祈りながら抑え気味に走って行く。
湖の周りの森の中を走る、結構アップダウンのあるコースで、心臓はバクバクだったけど、楽しいコースレイアウトだ。
何とか脚を攣ることなくバイクトランジットへ(44:36)
トランジットでは、ヘルメットのストラップの紐がクリップから外れていて、もたつく。焦ってなかなか紐が通らない。
走り出したら寒そうだったので、フレームに付けた「HOLDTUBE」に入れた薄手のウィンドブレーカーをトランジットで羽織った。
バイクに移って、時々小雨がパラつくも、寒さは感じない。
バイク時の補給食としては、現地調達したチョコ・マドレーヌと、SAVASゼリーバーを携行。約30㎞毎を目安に、取ることに。
市街地では、沿道から「アレー」の声が降りかかる、さすがツールの国。石畳もあり、まるでツールを走っている気分で楽しめた。
実際、昨年のツール7日目のステージ後半が、今回のヒルクライムのすぐ近くのようで、8日目のスタート地点がベルフォールだ。
2005年のツールでは、今回のピーク「バロン・ダルザス」を逆側から登ったらしい。
そのコース中盤のヒルクライムに差しかかる。500m地点からピークは1100mまで、600mを8㎞ほどで上る。(平均斜度約7%)
キツイけど、このコースを走れることに感激!雨もなく、山々も所々薄らと見えている。
前述の攣ったふくらはぎに不安があったが、無事にピーク到達。
それほど寒さも感じず、下りの寒さ対策も兼ねてボトルゲージに携帯したレインウェアを着込むことなくダウンヒルに突入。
ガスとウェットな路面に細心の注意を払って下っていく。
さすがに下りは寒い。筋肉が硬直するので、なるべく脚を廻しながら下る。
が、下りきった辺りで、クランクストップ使う間もなく瞬殺で左脚内転筋を攣る。
ペダル外れず、立ちごけしそうになりながら道の脇に停車。ストレッチしたとたんに反対の右脚も攣って動けず座り込む。よく攣る脚だ。情けない。
レインウェアを着込み、「芍薬甘草湯」(痙攣を鎮め痛みを和らげる漢方薬)を飲んで、痛みに耐えながら民家の軒先で寒さに震えていたら、おばあさんが毛布を持ってきて掛けてくれた。
痙攣治まって立ち上がるとまた攣るの繰り返しで、約30分ほど留まっていた。何とか歩けるようになり、レース復帰。
ボンジュールとメルシーしかフランス語の語彙がないため、メルシーよりも日本語の方が気持ち伝わる気がして、「ありがとう」と両手を握って感謝の気持ちを伝えて、その場を立ち去る。
その後、バイク終了まで後5kmほどのところで、こんどはパンク!Oh my God!
チューブ交換終え、空気入れるようとしたところ、焦って押し込みすぎてバルブを破損。バルブの先が完全に折れた。
レース前日のバイク預託時に空気入れた際にも、チューブ1本ダメにしていて、EXPOでも見つけられずに予備は1本のみ。
頭が真っ白になった。「リタイア」の文字が頭をよぎる。残りの距離を考えると押して歩くのはちょっと無理。バルブ同様自分の心も折れかかる。
最初のがスローパンクだったので、空気入れれば残り何とか走り切れるのでは?と元のチューブに戻し、また空気を入れ直して再スタート。
最後まで持つことを祈って走ったが、2km程でまたベコベコになった。
ここまできたら、意地でも完走してやると渾身の力で、再度気合と空気注入!
ゴール手前では、またもベコベコになったが何とかバイクゴールへ。(4:07:49 メーター値T3:23:13 D86.96 Av25.6)
最後のランは、1stランのコースを2周回。
ランに入ると、2周目とおぼしき選手がチラホラ。日本選手の背中も見えている。周回遅れだろうが、ベストは尽くそうと背中を追う。
練習仲間で、同じカテゴリーでもあるS崎選手に追いつき、声をかける。やはり2周目とのこと。一旦前に出るが、上りでまた脚攣りそうになり歩いたところで並ばれ、下りで離された。
意地を見せたかったが脚が限界、背中を追いかけつつ周回終盤へ。ゴールゲート方向へ入って行くのを見送って、自分は2周回目へ。
2度ほどあるキツイ上りは歩きも入ったが、何とか持ちこたえて感動のゴールゲートをくぐった。(1:51:38)
完走メダルをかけてもらい、記念バックを受け取る。あらためて、ゴール出来た喜びが湧き上がり、ゴールを振り返って、しばらく感動の余韻に浸っていた。
諦めないで本当に良かった!今回のレースはその一言。
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2選手受付会場にて.jpg
【結果】
TOTAL 6:59:09 AGE総合 626位/完走698人 M50-54 67位/完走68人
ロングというよりはミドル、しかもデュアスロンとなったが、初の海外レースだった。
不安もあったが、日本代表としての貴重な経験、ツールの国での最高のバイクコース、フランスの古い街並みなどなど、今回世界選手権に参加して本当に良かったと思った。
最後に、いつも一緒に練習してくれる仲間、気持ちよく送り出してくれた職場の仲間、そして何より家族に感謝!ありがとう!
また、日本選手団を手厚くサポートしていただいた、JTU鈴木貴里代理事、JTU中島靖弘委員長、相田博幸メカニックに深謝!お世話になりました&ありがとうございました。
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増川 弘幸
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街のシンボル_ライオン像と城塞
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4パスタパーティ会場にて.jpg5メイン会場への下見サイクリング途中.jpg6街の中心地と川沿いのサイクリング道路.jpg7無人式コインレンタサイクル.jpg初めての海外レースでした。
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増川選手お疲れさまでした。

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Triathlon “ MONO ” Journalist     Nobutaka Otsuka