チーム・Y佐藤亮子です。
2011年10月8日
IRONMAN WORLD CHAMPIONSHIPという世界最高の舞台で自分のどん底をみてきました。
私にとって9回目のアイアンマンレース。
それはまるで別世界でした。
■SWIM
センター後方からスタート。
トライアスロンを始めるきっかけともなった水泳は自分の中で唯一の安心種目。
2009年のJAPANを除いて全てのアイアンマンレースは海外。
どんな屈強な外国人選手を前にしてもいつも陣取る場所はセンター・フロント。
しかし今回ばかりは後方からのスタート。
この時点で私は自分に負けていた。
気持ちをどうしても前へ出せなかった。
「リラックス、リラックス」と何度言い聞かせてみても心の操縦術が全く効かず。
周りのいつもと違う雰囲気に圧倒され、飲み込まれていた。
号砲から折り返しまでの1.9㌔はひたすら手を回した。
進んでいないのではと思えるほど目指すブイまでの距離が縮まらない。
スイムアップして時計を見ると、27分台。
・・・・・心の整理がつかぬままトランジットへ。
大のお気に入りである真っ赤なサーベロP2が残り数台となっていたバイクラックでまだかまだかと私を待っていた。
最初から試されていた。
■BIKE
スタート時、急な坂を上ってからバイクコースへと入る場面で家族を含めY応援隊が熱い声援を送ってくれた。
贅沢すぎる応援。
なにが何でも追い上げる、KonaWindsなんかには負けない、と仲間を見て安堵したのかこの難攻不落とも思えたレースに僅かな闘志が湧いてきた。
レース直前に日頃からご指導頂いている選手権常連でコナを知り尽くしている大西選手からも、「強風に煽られるなよ」と念を押されていたので、
いつもよりずっと、補給時は特に強くハンドルやDHバーをしっかり握りしめた。
アップダウンよりも向かい風や横風と常に闘っていた気がする。
どこで集中していいのかがわからないコース。
単調さの中の複雑さ。
180㌔を無事に走りきれるようにと念じてバイクをひたすら漕いで漕いで踏んでいた。
辛いのに幸せだった。
■RUN
もはや20㌔を過ぎた時点で精も根も尽き果てていた。
日射しと暑さとタフなコースで、自分のジョグペースのリズムですら掴めなかった。
残り約10㌔となるエナジーラボに入ってからは行けども行けども折り返しに辿り着けない。
もうすでに辺りは真っ暗。
足下すら確認できない。
気持ちが途方に暮れた。
弱気で埋め尽くされた心を前に向けさせ続けてくれたのは暗闇から聞こえる声援と二年前の応援時に見たコナでのゴールシーン。
あの時のゴールゲートをくぐる選手達の姿が本当に華々しくて、素敵で、重厚で。
憧れだけで今までやってきた。
私も同じようになりたかった。
ずっと目指してきた私のゴールはどんなだったのだろう。
今回のレース、宣言していた11時間切りは疎か13時間も切れず。
レース直後、相当落ち込みました。
でも何故か今は恥ずかしさや後悔は全くなく、無事に完走でき清々しい気持ちでいっぱいです。
7月のアイアンマンコリアで今シーズンが終わってしまったかのような自分の調整不足やピークをもう一度ハワイへ向けられなかった。
未熟さは大いに反省すべきところですが、今年に入りRTK宣言をしてから自分なりに真剣に練習し、憧れの世界選手権出場という結果に繋げられたことは自信となりました。
また新たな世界を知ることができ、半歩先の目標が見つかり、本当に充実のシーズン。
最近の私は、トライアスロン道がそのまま人生道になりつつあります。
勝っても負けても、成功しても失敗しても楽しくて楽しくて仕方がない。
まだ始まったばかりです。
少し休んで、また仲間と一緒に練習を重ね、世界中の強豪が集結するCHAMPIONSHIPに再び出場できる事を目標にがんばります。
そしてもう一つの目標であるチームYのウルトラスーパーエースになることも忘れてはいません。(笑)
最高のステージでした。
日本からの応援、
現地での本当に心強かった応援隊の声援、
ありがとうございました。
RYOKO
勝負はメンタルで決まる。それがワールドチャンピオンシップ。(大塚)
Triathlon “ MONO ” Journalist Nobutaka Otsuka