【メンバーReport】 アイアンマンJAPAN by 峰岸選手 ~心・技・体~

昨年のIRONMAN JAPAN北海道で初ロング 初IRONMANに挑戦。今年が2度目の挑戦となりました。

チーム内にはハワイ経験者が数多く在籍し、いろいろな経験談や話を聞くたびにIRONMANへの思いが膨らんでいく自分がいました。昨年はの自分は、諸先輩方の話を聞いていくうちに「自分もいけちゃうかも?」と大きな錯覚を起こし『Road to KONA』へのチャレンジ宣言を恐れ多くもしてしまいました。昨年の結果は 12時間45分 ととてもハワイへ行くには程遠い記録で惨敗。来年目指そう!! と心に誓ったはずでしたが 体は正直で「燃え尽き症候群」のような状態へ突入。さらに昨年11月のマラソン大会で足を骨折し思うようなトレーニングが出来ない日々。それでも唯一JAPAN後からずっと取り組んできたのが「筋トレ」です。

私は脚力が弱く、足の裏側の筋肉全般の使い方が出来ていない体をしっかり見直し、基礎から作りなおしていきました。3月の大山登山マラソンでは、仲間の爽快な走りに心打たれ、骨折もよくなりランの練習にスイッチオン!!これまで外で走ることを嫌ってまったく走っていませんでしたが、なるべく外を走るよう目標を決めて練習。

スイムは、普段と変わらず競泳のスピード練習が中心。これまでは「質より量」で練習をしてきて気持ちの不安を解消してきましたが、今年は質を高めて練習を行ってみました。

3種目とも ロング練習をほとんど行わず IRONMAN JAPAN 当日を迎え気持ちは練習不足の不安はあったものの爽やかな朝でした。この時、ハワイは来年狙おうと思っていたのでプレッシャーも緊張もない状態でした。

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スイム:1時間3分
スタートダッシュで4~500mも泳げば泳力の近い選手がかたまる。ターゲット選手をみつけ少しゆっくりのペースではあったがヘッドアップしてコース取りするストレスに比べればゆっくりでもついて泳いで体力温存したほうがいいと判断。
1周終えた時点で、のんびり泳いだ付けが出てき始めた。心拍があがってないがために低体温傾向になってきた。2周目は自分のペースで突っ込んで泳ぎスイムアップ。
T1更衣室では自分のほかに女性選手2人。 うん。予定通り。
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バイク:6時間44分
もたもたT1を終え、ヨロヨロとしながらバイクスタート。毎度のことながらカッコよく皆に抜かれる。苦手なバイクなだけに常に 「棄権する理由」 「頑張る理由」 をいくつも頭の中でめぐらせながら軽いギアでとにかく回す。後先考えずとにかく突っ込んでいく。30キロ過ぎた地点から 石田選手や柏木選手、上野選手などなどにぬかされ、声をかけていただくことで励まされひたすらペダルを回す。100キロ超えた地点だろうか、佐藤選手に追いつかれる。この時点で自分が女性に抜かれたのは7~8人だった。十分ハワイの可能性があったので後ろから大声で叫ぶ(佐藤選手に声が届いていたか不明)「前に女性は7~8人!!がんばってー!!!!!」一番ハワイに近い彼女に声援を送る。私は佐藤選手に会えたことで嬉しくて元気が出てきて必死になってついていく。しかし130キロ地点で昨年同様に体が釣り始めどうにもならなくなりいったん自転車を降りてストレッチ。さらに給水失敗し吐き気と腹痛に見舞われる。でも強い気持ちを持った自分、前向きな自分がいて心が折れることなくバイクフェィニッシュ。バイクでの足切りが一番不安だったのでホッとして泣きそうになる。
ラン:4時間9分
T2は急いで身支度し走りだすも、バイクの練習不足から足の裏の筋肉が悲鳴をあげ思うように走れず一旦しゃがみこみ靴を脱いでマッサージ。そして「痛いのは気のせいだ」と自分に暗示をかけ再度スタートする。ここからは片道10キロのコースを2往復。ブルージャージを着たたくさんの仲間たちが待っている。ここまでくると苦しくても頑張れる。何度もくじけそうになったがそのたびに仲間からの叱咤激励。途中、青木選手から「いける!!あきらめるな!!」「その調子!!狙えるから頑張れ!!」その言葉から冷静になり考え「あ、もしかしたら入賞できる位置にいるかもしれない?あきらめずに走り続ければいけるかもしれない。」と思いさらに粘り腕をふり頑張る。ラスト1キロ前後の石畳のコースが疲労した足にもろに衝撃が加わる。負けるな自分。あきらめるな自分。常に言い聞かせながらの42.2キロ うれし涙のゴール。
 
結果:12時間7分 上出来の結果♪
スロット授与式当日の朝 佐藤選手からロールダウンでスロットとれる可能性があると聞いてあわててコンビニへ。緊張高まる授与式で女子の名前が呼ばれる。最後のロールダウンで自分の名前が呼ばれた。夢のようだった。神と運を味方につけた気分だった。
念願のハワイ行きの切符を手に入れた今、心技体しっかりと鍛えなおし悔いのないレースができるよう一年間頑張っていきたいと思う。
これまで支えてきてくれた家族や仲間、職場の方々に感謝します。
そしてこれからも ご指導よろしくお願いします。
チーム・Y 峰岸尚子
 茅ヶ崎からKONAへ

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Triathlon “ MONO ” Journalist     Nobutaka Otsuka