【2010 IRONMAN WORLD CHAMPIONSHIP に参加して】
壮行会でイエロージャージを頂戴し、チーム・Yの代表として聖地巡礼の旅から戻りました。
帰ってくると、日本は急に秋模様。
ここから、暑苦しいレポートを披露するのは気が引けます(ので、暑苦しいものは自分のBLOGに掲載)。
ここでは、参加の模様と、エピソードも含めた小話を披露しようと思います。
<そもそも・・・大会の参加者>
まず、チャンピオンシップに、どれくらいの参加者がいるか、ご存知ですか?
今年で見ると、プロ枠は男子68名、女子53名、それにエイジカテゴリーが大体1,700人くらい。
加えて、抽選枠ってのがあるんです!
毎年4月15日くらいに発表になりますが、こちらは世界中から100人くらい。
毎年日本人は1人か2人しかこの抽選に当たらないのですが、なんと!
今までに2人もいるのですよ、我がチーム・Yから!
あとは少ないですが、ハンディキャップ部門やら軍隊枠(?)とかもあるそうです。
結局、今年のエントリーリストで見ると、1930人いました。
ボランティアは5000人。
選手も、ボランティアも、メディアも、世界各地からやってきます。
<変わったルールと裏話>
スイムはウェットスーツ禁止。これは水温が高いから。
バイクではディスク・ホイール禁止。強烈なコナウィンドに吹き飛ばされてしまうから。
ランでは、ルールインフォメーションに記されている有名な一節があります。
No form of locomotion other than running, walking or
crawling is allowed.
“走る、歩く、這う以外で進んではいけない”。
1982年2月、第5回大会のゴール400m手前。
女子1位だったジュリー.モス選手は、走ることも歩くこともできず倒れたが、大観衆の声援に後押しされ、這って、這って、フィニッシュラインに片手をタッチしてゴール。
この後、その模様が米国ABCテレビで放送され、アイアンマンが空前のブームとなった伝説的なエピソードです。
また、今は運営上難しく、10月の10日前後と決まってきましたが、昔は、10月の「満月に一番近い土曜日」に開催されてました。
真夜中近くを走るランナーの路面を一番照らしてくれるのは、月の灯りのみ。
ハワイの道路には街灯なんてありませんからね。
<レース当日>
昔は一斉スタートでしたが、今年からはプロはエイジよりも30分前の6時半スタート。
おかげでスタート前の準備をするプロ選手を間近で見ることが出来ました。
プロのバイクラックには、現チャンプのアレキサンダー、昨年惜しくも2位になったクリス・リエトのバイクが並びます。
バイクだけでもオーラが凄いです。
自分が見ていて少し寂しかったのは、04年、06年のチャンプ、ノーマン・スタッドラー。
SCOTTのニューバイクをラックから取り出して、壁際でひっそりと空気入れをしていました。
昔のギラギラした感じがせず、実際のレースもそんな感じで終わってしまいました。
プロを見送って、今度は残り全員で7時に一斉スタート。
私は3.8キロを1時間6分ちょっとでスイムアップしましたが、更衣テントは既に大混雑。
バイクラックエリアも当然、1900台分もあるわけで、自分のバイクにたどり着くまでにとても時間がかかります。
やっとバイクをスタート。
序盤の10キロ前後は顔見世のようなカーブやアップダウンが続き、最後に一気にハイウェイまで登ります。
ここは左右に大勢の観客がいて、さながらツールを走っているような感覚です。
しかし。
ここを終えると、有名な「Queen Ka’ahumanu Highway」、略して「QUEEN-K」を走ります。
*ちなみにkamehameha大王の奥様の名を冠した道路です。
HAWI(ハワイ島の北端の町)までの1本道を往復するのです。
この道路が、このハワイのレースを象徴してます。
右も左も溶岩台地。
ハワイには今も、活発なキラウェア火山があり、「ペレ」と呼ばれ島民から畏れられる伝説の火山の女神がいます。
昔からの噴火活動により島全体は溶岩に覆われてます。
突風にさらされ、強い日差しにさらされての180.2kmのほとんどは、応援もなし。
選手はひたすら、ひたすらDHポジションで進みます。
カーブがほとんどない直線コースだからです。
今回はトータル10時間切りを目標に掲げていました。
一番長い競技はもちろんバイク。
ここでのタイムの短縮が、全体のタイム圧縮にも繋がります。
今回、ハワイには5度目の挑戦でしたが、今までの21回のアイアンマンでの自己ベストタイムを出すことが出来ました。
壮行会で頂いたイエロージャージ、マイヨジョーヌ・マジックでしょうか?
バイクラップ 5:17:28(180.2km)
ついに最後の種目、ランニングをスタート。
一度、アリードライブを南下し、ホテルやコンドミニアムが立ち並ぶ町並みを走ります。
ここではたくさんの応援に支えられます。
8キロ地点あたりをUターンしてまたカイルア・コナに戻り、再び右折。
また「QUEEN-K」を走ります。
当然、応援はエイド以外にはありません。
エアポート手前に、普段は立ち入り禁止の「Natural Energy Lab」のエリアに入ります。
幾多の名勝負を生んできた、もう一つのランの折り返し地点です。
ここで、気付くとあと13キロ程度。
目標の10時間まであと1時間。
普通なら1時間くらいで走りきれるところでしたが、もう最後に力は残っておらず。
水を被りすぎたせいか両足にマメも出来て徐々にスピードダウン。
結局、ランは3時間38分で、ゴールタイムは10時間9分21秒。
あと10分足りませんでした。
悔しいですが、振り返ってみて、やはりこれが今の自分の実力であると実感しています。
<レースを終えて>
大塚さんとは、03年に行ったコーヒー園にレース翌日に必ず行くのですが、その風景は素晴らしく、余韻に満ちています。
ただ、再びコナの街に戻ってくると、アワードパーティーの前に、既にあちこちで解体作業が進められ、ゴールゲートも崩され、普通の田舎町へと戻っていきます。
昨日は真夜中まで盛り上がったが故に・・・とても寂しい感じがします。
でも、じっと目を閉じると。。。
帰りの飛行機の中でも、電車の中でも、そして今でも!
ゴールの花道、そしてゴールゲートをくぐった瞬間の感動が蘇ってきます。
このゴールはやはり特別です。
この1年間、頑張ってやってこれたのも、このゴールがあったからだと思います。
そして、またここに帰ってきたい、そう思わせる魔法のような磁力があります。
世界中の鉄人達が渇望する究極のレース、そのゴールに、是非、皆さんもチャレンジしてみませんか?
また、一緒に練習しましょう!
チーム・Y 大西
お疲れさまでした。
Triathlon “ MONO ” Journalist Nobutaka Otsuka